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特集

佛通寺 ズームイン!

見どころは四季折々の自然美と歴史的建造物

佛通寺と言えば広島県内でも有数の「新緑」「紅葉」の名所です。GWごろには佛通寺一帯が淡緑によって覆われ、参道を歩くと小鳥がさえずりや木漏れ日が優しい気持ちにさせてくれます。秋の色とりどりの紅葉は600年を超える時の移ろいと歴史の重みを感じさせてくれています。

パワースポット佛通寺の宝船!

佛通寺の石垣には、「宝船」の形をした石垣が組まれています。発見できるといいことがあるかも?! 是非、探してみてください。

①巨蟒橋(きょもうきょう)

現在の地図には佛通寺川と記されているこの渓流は、往来より「活龍水(かつりゅうすい)」と呼ばれ、佛通寺本寺の結界(けっかい)(仏教において、サンガ(saṃgha, 僧伽(そうぎゃ) )がひとつの「現前(げんぜん)サンガ」の空間領域(sīmā =界)を設定することを言う)となっています 。橋を渡る者は一切の俗塵(ぞくじん)を捨て去ることが必要とされ、不心得者が渡ろうとすると、どこからともなく蟒蛇(うわばみ)(大きな蛇のこと)が現れて威嚇(いかく)したと言います。

②総門

佛通寺の正門。寛政(1796年)の回禄(火災)の後、広島藩主浅野家の外護(げご)(僧侶以外の人びとが、外部から権力や財力で仏教を保護すること。 また、僧侶の修行を援護すること)で文化(ぶんか)6年(1809年)に再興されたものです。巴紋は大檀越(おおだんおつ)(檀越とは梵語のダーナパティ(danapati)の音写であり、寺や僧を援助する庇護者の意味である)であった小早川氏の家紋。鷹の羽の打違いは浅野氏の家紋である。土塀の白壁の五本線は後小松天皇(一休さんの父君)の勅願時であることを示しています。同時に足利将軍家の祈願護国寺でもありました。

③佛殿

佛通寺の中心の伽藍(がらん)(僧侶が集まり修行する清浄な場所)。須彌壇上(しゅみだんじょう)(仏教寺院において本尊を安置する場所であり、仏像等を安置するために一段高く設けられた場所のこと)には釈迦三尊像が祀ってあります。公式的な説法問答の場である法堂(はっとう)を兼ねています。寛政(1796年)の回禄(火災のこと)の後、広島藩主浅野家の外護(げご)(僧侶以外の人びとが、外部から権力や財力で仏教を保護すること。 また、僧侶の修行を援護すること)で文化6年(1809)に再建されました。
天井の雲龍図は文化7年(1810年)備中松山の画工、菅南山の筆によるもので、龍は仏法の守護神であり、また雲を呼び雨を降らせるところから火難除けの意もあります。

④薬師堂

薬師如来が祀ってあります。

⑤羅漢庭(らかんてい)

篤志(とくし)(社会奉仕や公共の福祉などを熱心に実行したり支援したりする人)者の先祖供養のため、平成の五百羅漢(ごひゃくらかん)を奉安してあります。

⑥大方丈(だいほうじょう)

佛通寺の本堂のことで、儀式法要、法話説法の場です。
方丈(ほうじょう)とは、もともと一丈四方(3m×3m)の居室の意味で、住持(じゅうじ)の居間であったものが、後に大伽藍(だいがらん)(寺の大きな建物)として建てられるようになったものです。この建物は「降魔殿(ごうまでん)」と呼ばれ、第三代管長 山崎益洲老師筆の「降魔」の扁額(へんがく)が掛かっています。初めは毘沙門像が祀られていたましたが、現在は十一面観世音菩薩像がご本尊となっています。

童子観音像(どうじかんのんぞう)

大方丈に祀られる本尊、十一面観世音菩薩立像。頭部に十の小さな顔をもち、東西南北四維(よんい)上下の十方をあらわしています。本体のお顔と合わせて、十一面となり、宇宙世界のすべてを隅々まで見透す慈顔です。観音様の慈悲のお力は、世界のどことして及ばないところはない、その広大無辺の姿を象徴しています。もともと開山堂前に建つ朱塗りの多宝塔の本尊として安座されていましたが、大方丈内に遷座(せんざ)(神体、 仏像 などをよそへ移すこと)されました。童子の顔を写したというこの童子観音像は、高村光雲工房の門派による作です。

⑦大玄関(おおげんかん)

奥の間に、伊万里圓通寺臥龍窟老師彫刻寄進になる樟(くすのき)の一木彫り座禅達磨像が奉安(ほうあん)(尊いものをつつしんで安置すること)されています。

⑧納経所(のうきょうしょ)

観音霊場巡拝納経の御朱印受付、すべての寺務参拝等の総受付所。

⑨庫裏(くり)

庫裏(くり)とは寺院伽藍のひとつで、佛通寺派宗務本所、寺務所・応接室・典座(てんぞ=厨房)・食堂(じきどう)などがある建物のことです。「喜悦堂(きえつどう)」と称し、第三代管長山崎益洲老師筆の「喜悦」の扁額が掛かっています。

⑩禅堂

現在の禅堂は、昭和初期に尾道出身の財閥で篤信(とくしん)家(信心の厚い人のこと)の山口玄洞氏の寄進によって建てられた坐禅堂です。台湾檜(ひのき)の良材を使った堅牢な建築で、簡素ながら細部の意匠も精緻(せいち)(非常に細かくて詳しいこと・細部に至るまで精度が高いこと)に造られています。従来修行僧の禅堂として使用されてきましたが、現在では誰もが座禅を組むことができる禅堂として活用されています。
この禅堂は「獅子窟(ししくつ)」と称し、第三代管長 山崎益洲老師筆の扁額(へんがく)が前門に掛かっています。

⑪鳳林閣

法話や会議、展示会や宿泊研修の施設。大広間、大浴場を完備しています。

⑫羅漢槙(らかんまき)

佛通寺の本堂に渡る木橋の手前左手に佇む大木で、通常ラカンマキと呼ばれています。地上約4mのところで東西ふたつの幹に大きくわかれており、その上であわせて九つの大枝にわかれている姿は、自然環境豊かな佛通寺一帯の空間に溶け込んでいます。佛通寺の開山、愚中禅師が植えたものであると伝えられ、広島県天然記念物に指定されている見事な巨木です。

⑬崑崗池(こんこういけ)

雪舟作(せっしゅう・1420年~1506年は、室町時代の画僧で、水墨画家として活躍しました。 憧れの中国で水墨画の技法を学び、独自の山水画を確立した日本美術史の巨匠)と伝えられていますがさだかではありません。雪舟が当山に逗留したのはほぼ史実と考えられ、言い伝えではありますが、佛通寺山内の随所に足跡が残っています。庭園研究の専門家によると、この池の構造はあまり原型をとどめていないのではと言われています。ちなみに、中央の石橋は最近架けられたもののようです。向かって左手奥に「銀九瀑(ぎんくばく)」の白糸が掛かり、清冽な水が絶えず注ぎ込む崑崗池は、佛通寺正門前の幽邃(ゆうすい)( 奥深くてもの静かなこと)な境致を成しており、池辺を巡りながら雪舟さんを偲ばれてみてはいかがでしょうか。

⑭銀九瀑(ぎんくばく)

開創以来の名瀑で、李白の詩に「銀九天より落つ」と滝の形容の句があります。

⑮三安観音(みやすかんのん)

尾道出身の財閥で篤信家であった山口玄洞氏夫妻の奉納によるものです。「家・安かれ、身・安かれ、子・安かれ」と過去、現在、未来の三世の安穏を祈願してください。

⑯山頭火句碑(さんとうかくひ)

「あけはなつや満山のみどり」は日本の自由律俳句の俳人・種田山頭火が佛通寺で吟じた句です。

⑰輪蔵(りんぞう)

教蔵のこと。回転式書架には明版大蔵経が収められています。

⑱含暉坂(がんきざか)

開山堂への参道。200段近い石段があります。

⑲羅漢像

開山堂から含暉坂(がんきざか)、崑崗池(こんこういけ)にかけて文政年間以来奉納された石像群。釈迦三尊像、佛弟子、十六羅漢からなっています。

⑳開山堂(かいざんどう)

開山堂は,もとは地蔵堂の後にありましたが,現在では含暉院(がんきいん)のもとの書院の中央部の奥に移され,書院が開山堂と改称されました。佛通禅師と大通禅師の倚像が安置され,向かって左側には松岩尼墓が安置されています。内陣(ないじん)(寺院 の 本堂 内部において本尊を、 神社の本殿内部において 神体 を安置する場所)には創建当時のものと考えられる木材が使用されており、この両側には位牌堂が設けられています。

㉑地蔵堂

含暉院(がんきいん)の仏殿として建立されたもので、様式は折衷様(せっちゅうよう)(日本の伝統的な中世の仏教寺社建築様式の一つ。 和様 、大仏様 、 禅宗様 の三者を折衷した様式)で,桁行三間(さんけん)(約3.6m),梁行三間(約3.6m)の一重宝形造り(一重は寺院建築における塔すなわち仏塔の数。宝形造(ほうぎょうづくり)は、建築物の屋根形式のひとつで、正方形の平面で寄棟を造ろうとした場合には、大棟ができず、4枚の屋根がすべて三角形になる。このような造りを特に 方形造 、宝形造(ほうぎょうづくり)という)。この地蔵堂の中央奥より縦2メートル,横2メートル,高さ1メートルの唐様の須弥壇(しゅみだん)があり,中には木造地蔵菩薩坐像(もくぞうじぞうぼさつざぞう)が安置されています。

㉒多宝塔(たほうとう)

釈迦如来と宝勝如来(ほうしょうにょらい)を安置し、佛舎利塔と納骨堂を兼ねています。座禅堂、三安観音とともに尾道出身の財閥で篤信家であった山口玄洞氏夫妻の奉納によるものです。

㉓御許権現社(おもとごんげんしゃ)

大通禅師在世の頃、一僧が宇佐八幡宮御許神社(現大元神社)より招来した八幡菩薩の石造を奉安し、社殿を小早川則平公が造立したとの伝承があります。佛通寺の鎮守社です。

文化財

重要文化財(国指定)

佛通寺含暉(がんき)院地蔵堂 附:須弥壇(仏教寺院において本尊を安置する場所であり、仏像等を安置するために一段高く設けられた場所のこと) - 応永13年(1406年)建立。含暉院の仏殿として建立。様式は折衷様(日本の伝統的な中世の仏教寺社建築様式の一つ。 和様 、大仏様 、禅宗様の三者を折衷した様式)で、桁行3間、梁行3間の一重宝形造(一重は寺院建築における塔すなわち仏塔の数。宝形造 (ほうぎょうづくり)は、建築物の屋根形式のひとつで、正方形の平面で寄棟を造ろうとした場合には、大棟ができず、4枚の屋根がすべて三角形になる。このような造りを特に 方形造 、宝形造(ほうぎょうづくり)という)、本瓦葺(ぶき)(元は茅葺(かやぶき))。

絹本著色大通禅師像 附:紙本墨書大通禅師墨蹟(1407年=応永14年)、紙本墨書大通禅師消息(1408年=応永15年) - 大通禅師像は14-15世紀の作。愚中周及自身の賛によると、「前作州太守天心順公居士」こと小早川春平のために着算された。図様は、右手で自身の頭頂部を撫でるという、「頂相(禅僧の肖像画、または肖像彫刻のこと)としては極めて特異な姿で描かれている。姿も黒衣に褐色の袈裟、節だらけの自然木の曲彔(きょくろく)(椅子)に座し、像主の質素な暮らしぶりを思い起こさせる。墨跡は示寂(じじゃく)(高僧が亡くなること)する2年前に書かれ、同じ内容のものが他にもある。消息は寺の政所宛で、京都を離れたらそのうち佛通寺に帰ろうと思うのだが、足利義持の意を受けた小早川則平(春平の子)の策略で叶いそうもない、寺のことは覚隠真知に申し付けるので諸事相談するよう述べる。義持は愚中を極力京都近郊に留めようとしており、愚中はこの後佛通寺には帰れなかった。

広島県重要文化財

・木造佛通禅師坐像
・木造大通禅師坐像
・紺紙金泥細字法華経 附:木製漆塗六角経幢
・佛通寺文書
・佛通寺正法院文書
・金剛般若波羅蜜経版木
・延命地蔵菩薩経版木

登録有形文化財

・多宝塔 - 開山堂脇に立つ。昭和初期の建築で、軒周辺の材料に反りをもたせ、整った塔姿が特徴の近代の多宝塔。